みずほ町事件簿

埼玉県の架空の町で起きた連続殺人事件

第10話 遺思


 受付事務所で発見された時、岩田は明らかに息をしていなかった。

 救急車より先に到着したみずほ町の駐在、高瀬はすぐに所轄の湯川警察に連絡しようとした。

 

「ご遺体を動かすのは止めましょう。みなさん、この部屋から出て下さい!」

 

 しかし町の年寄り連中は、高瀬の指示をきかなかった。

 

「警察なんかに関わらせたら、ガンちゃんは何日も戻ってこれないし、体を切り刻まれるかもしれない。そんなことはさせられない!」

 

 怒った年寄りたちに詰め寄られ、若い高瀬は折れた。

 

 駆けつけた岩田のかかりつけ医が死亡診断書を書き、岩田はそのまま湯川の病院に搬送された。

 その間、多くの者が事務所を出入りした。

 誰も現場の保存を考慮した者は、1人もいなかった。

 

 年寄り達に取り囲まれ高瀬が青くなっている時、秀一はその場にいなかった。

 鷲宮本家の西側に建つことから”西手”と呼ばれる、秀一の生家に野々香と賢人を連れて来ていた。

 

 家の中に入ると「わーっ! 懐かしい!」と野々香は無邪気にリビングを見回した。

 仏頂面だった賢人も「やったあ、ここWi-Fi入る!」とご機嫌で、スマホの充電を始めた。

 

 普段は空き家だが秀一の父親が別荘代わりに時々使っているので、一階部分は人が住める状態のままだった。

 秀一はエアコンの効きを確かめ、ガス、水道をチエックし、冷蔵庫の中を確認した。 

 そして、くつろいでいる野々香親子の様子に満足すると、急いでセンターに戻ろうとした。

 

「また戻ってくるから、ゆっくりしてて。あるもの何でも使っていいから」

 

 早口で言い、出ていこうとする秀一を、賢人と野々香が追いかけてきた。

 

「ほら、早く、秀ちゃんに渡しなさいよ」

野々香に言われ、賢人はポケットから何やら取り出し、無言で秀一に差し出した。

「カバンに入ってたんですって」

 それは、夏穂に見せられたものと同じものだった。下手くそな字で『ミルキーウエイ』と印刷されたB5サイズの紙。

 賢人が雨の中を戻って来た時に濡れたのか、紙はかすかに湿っていた。

 

「これ何? 暗号?」

 野々香が興味津々という顔で聞いてきた。

「……わからない……」 

 嘘ではなかった。秀一には検討もつかなかった。

 それに今は、岩田の死で頭がいっぱいだった。

 秀一は、その紙を賢人に返すと家を出た。

 

 急いで車に乗り込もうとした秀一は、沢村からの電話を受けた。

 西手に戻る前に沢村にはスマホの番号を教えておいたのだ。

 

『ガンちゃんが今、湯川の病院に運ばれました』

 沢村は病院の名を告げ、

『……それから、西手の旦那さんの方には、坊っちゃんの口から伝えてもらえますか? 本家には、町長と水谷のじいさんが知らせに向かいました』

 

 秀一は承知した。

 本家に行けと言われたら尻込みするが、自分の父親に電話一本入れるくらいなら、訳ない。

 

『通夜のことは任せて下さい。瑞散寺の和尚と相談して、こっちでやっておきます』

 よろしくお願いしますと、沢村に丁寧に礼を言い、ついでに聞いてみた。

 

「ガンちゃん、賢人に何か渡したい物があるって言ってたんだけど、何だか知ってる?」

 

『……いやあ、何もきいていません……坊っちゃんと一緒に早苗さんの所で食べるって、弁当を2つ持って出ていったのが最後で……まさかまだセンターにいたとは、思ってもみませんでしたよ……車が残っていたのにも気づかなくって……』

 岩田が持って出たという2つの弁当は、事務所の机の上に置かれていた。

 

(ガンちゃん、いったい賢人に何を渡そうとしたんだ?)

 

 

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 湯川市とみずほ町を結ぶ県道。この道が出来たのは秀一が産まれる前だという。

 出来た当初は税金の無駄遣いだと非難されたらしい。

 今も、湯川に向け車を走らせる途中、秀一が目にしたものはセルフのガソリンスタンド、閉店したコンビニ、ラブホテルぐらいだった。

 通る車もほとんどない。

 

 岩田が郷土資料館から見つけた、賢人に渡したいと言っていた物。

 それが何かはわからないが、なんとかして、見つけないと

 

『亡くなった一輝さんが、息子に渡したがっているのかもしれませんね』

 岩田は、そう感慨深げに言っていた。

 

 探し出して、岩田の代わりに賢人に渡してあげないと……。

 湯川の病院で、岩田に別れを告げたら、再び、みずほに戻ろう。

 周囲の人に聞けばそれが何なのか、知っている人がいるだろう。

 

 秀一はそんなことを考えながら、湯川に向けて車を走らせた。

 

 

 

 

 








第9話 凛の話


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  父親の運転するライトバンの後部シートに座り、凛は窓の外を見ていた。

 外はうっそうと竹が生い茂り、その向こうを鷲宮本家の白壁が続いていた。

 

  2人はつい今しがた、星来を本家の門まで送り届けたところだった。

 大きな門の脇の通用口から、星来が家の中に消えた時、凛は訳のわからない胸騒ぎがした。

 

 ――あの子を一人にしては、いけない――

 

 どこからかそんな声が聞こえたような気がして、凛は身震いした。

 

「……なんか、ブキミな家だね……」

 後ろから伸び上がり、凛は父親にそっと言ってみた。

「古い家だからな」

 父親はのん気に言うと車をUターンさせ、もと来た道を下っていった。

 

 竹やぶの中の細い道を下ると、褐色砂岩の洋館が見えてくる。

 本家の西側に建つことから"西手"と呼ばれる鷲宮の分家、秀一の生家だった。

 

 坂道を折れ、西手の家の前を通り過ぎると、やっと車道に出た。

 

 岩田の遺体発見後、秀一は賢人と野々香を西手に送り、そのまま自分だけ岩田が搬送された湯川の病院に向かったという。

 

 今この家に賢人がいるのかと、凛は窓に張り付いて、過ぎていく洋館を見つめた。

 

 賢人は自分のことを覚えていてくれた。

 一年だけ同じ小学校に通った幼馴染……突然、転校していった賢人。

「よう」って、声をかけてくれた……。

 

(ダメだ! 賢人のこと考えるのはやめよう!)

 凛は賢人を追い払うように、激しく頭を振った。

(賢人のこと考えると、病気みたいになる!)

 息が苦しいし、頭がぼうっとなる。

 

 赤信号で停まっていた父親が、スマホを見ながら言ってきた。

「おい、夏期講習会、8時からになったぞ」

「えーっ! なんでやるの⁉ 岩田さん、死んだじゃん!」

 父親は笑い出した。

「関係ないだろ」

(なんで、夏休みに勉強なんかしなきゃいけないんだよ! みんな真理子先生が悪いんだ!)

 凛は腕組をし、ふくれた。

 

 今年の4月、若くてキレイな真理子が担任になり、凛は嬉しかった。

 用がなくても、何かと真理子にまとわりついた。あれこれお手伝いもした。

 ところが夏休み前の家庭訪問で、真理子は凛の成績のことを話題にしてきた。

(数学も英語も、基礎からやり直した方がいいですね)

 親たちが申し訳なさそうにするのを見て、凛は居たたまれなかった。

(夏休みの講習会、がんばろうね)

 にっこり笑って帰っていく真理子の背中に向けて、凛はアッカンベーをした。

 

 真理子先生なんか、大っ嫌いだ!

 

 凛は夏季講習参加のプリントを、親に出さずにいた。

 そうしたら今朝、真理子から電話がかかってきた。

(講習会の参加メンバーの中に、凛ちゃんの名前が載っていないんです)

 凛は親たちから、また怒られた。

 

 真理子先生は余計なことばかりする!

 

(……でも、先生に嘘をつくのは、やっぱ、良くないよな……)

 

 凛は頭を抱えた。

 昼からずっと、悩んでいることがあった。

 

(……はやく、本当のことを言わないと)

 

 今日の昼休み、凛は弁当もそこそこに、一人テニスコートでサーブの練習をしていた。

 秀一に教えてもらい、自分でもびっくりするくらい、サーブが入るようになったのだ、忘れないうちに復習したかった。

 凛は焦っていた。今年からテニス部に入ってきた1年生の方が、どんどん上手くなってる気がしていた。

 凛は初心者コートで練習したが、一年生はみんな隣の"上手い子達のコート"にいた。

(夏休み中に、絶対上手くなるんだ! 勉強なんてやってられない!)

 

 暑さも気にならずに、夢中でサーブをしていたら、急に空が暗くなった。

 雨になるのかと空を見上げたら、車で食事に行っていたMOPのメンバーが帰ってくるのが見えた。

 彼らは賑やかに笑いながら、クラブハウスの中に入っていき――。

 大騒ぎになった。

 

 凛がボールを集めていると、真理子が新しい町長とやって来た。

 真理子は困ったような顔で、町長は怒っているようだった。

(誰か、クラブハウスに入る人を見なかった?)

 真理子に聞かれた時、まだ真理子に面白くない気持ちを抱えていた凛は、プイとそっぽを向き、

「知らない」

 と、つい嘘をついてしまった……。

 

 本当は見ていた。

 水筒の飲み物が空になったので、コートの外の蛇口で水を飲んでいた時、一人の人物がクラブハウスに入り、またすぐ出て、走っていくのを……。

 

(……早く、真理子先生に言わないと……)

 

  ……でも……さっき沢村のおじさんは、真面目にとりあわなくていいって、笑ってた……。

  別に大したことじゃ、ないのかも……。

 だったら別に、言わなくてもいいのかも……。

 

 堂々巡りの考えをしているうちに、凛は眠くなってきた。

 

 だいたいミルキーウエイがなんだというのだ。

 ミルキーウエイとは、天の川のことだ。

 凛だってそれぐらい知っている。

 大人たちは、どうして、天の川なんかで騒いでるのだろう?

 

 そんなことを思いながら凛は、いつの間にか眠り込んでいた。

 

 

  

 

  

 

 

 

第8話 星来の話

 

 

 岩田の遺体が発見され、テニス講習会どころではなくなった。

 子供たちはすぐに帰宅するよう促され、次々と迎えの車に乗り込んでいった。

 

  外はまだ小雨が降っている。

 鷲宮星来も母親に迎えにきてもらおうと電話をかけたが、何度かけてもつながらなかった。

 ふれあいセンターの玄関から外を見上げると、高台に建つ鷲宮本家の白壁が、遠くに見えた。

 ここから本家まで、歩けない距離ではないのかもしれない……。

 だが夏休みで、母親の実家に来ているだけの星来には、土地勘がなかった。

 今朝はここまで従姉妹の真理子に車で連れてきてもらったが、真理子は岩田の遺体を見た途端、慌てたように車でどこかに行ってしまった。

 

 どうしようと途方に暮れていた星来は、背中をツンツンと突っつかれた。

 振り返ると、水谷凛が笑っていた。

「お母さんと電話、つながった?」

 小さくて細い体に、黒目がちの大きな目――。

 可愛い男の子のような凛に見上げられ、星来はホッと笑顔になった。

「まだ。お母さん、出かけたみたい」

「うちの車に乗ってく?」

 凛は受付事務所の方を指した。

「お父さん、沢村さんと話してるから、遅くなりそうだけど」

 2人はそっと事務所に近づいた。

 

 事務所のドアは閉まっていたが、窓口のガラス戸は開いていた。

 窓口から中をこっそり覗き込むと、凛の父親の大きな背中が見える。奥には疲れ切った顔の沢村が、だらりと椅子に座っていた。

 

「……子供たちが騒がしいから、絵でも描かせようって……それで、紙を探しにみんなで受付ん中に入ったらしいんだ……」

 沢村は凛の父親に、岩田が発見された時の状況を説明していた。

「鍵が、かかってたって?」

「そうなんだよ。おかしいだろ? 受付のドアなんか、いつも開けっ放しなのに……井口んとこのカミさんが集会室借りた時に、鍵の束をそのまんま持ってたから、助かったよ……スペアの鍵は事務所の机ん中だしよ……鍵持ってるモンがいなかったら、中に入れなかったよ……」

「ガンちゃんが、中から鍵かけたっていうのか?」

「そういうこっだろ」

「なんのために」

「そんなん、俺に聞かれても知らねえよ」

 沢村は合点がいかないと、首を傾げる。

 しばしの沈黙の後、凛の父親が口を開いた。

「ヘンな手紙が、入れられてたらしいな?」

「ああ、うちの優斗のバッグにも入ってた。クラブハウスに荷物置きっぱなしにしてた奴らが、入れられたみたいだな……まあでも、そっちは子供のイタズラだろ。真面目に取り合うこたあないよ」

「そうか」

「ホラ、あんたんとこの親戚の夏穂。あの子が大騒ぎして、西手の坊っちゃんを巻き込もうとしてたから、注意しといた方がいいぞ」

「夏穂は子供の時から、秀一に熱、上げてたからなあ」

 

 こっそり聞いていた星来と夏穂は(そうなんだ)と、顔を見合わせニヤリとした。

 

「あの2人だったら『美女と野獣』の逆だろ」

「夏穂は、そこまでひどくないぞ」

 男たちは、のん気に笑いあった。

 


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 凛の父親の車で送ってもらい、星来が鷲宮本家に着いた時には、雨はすっかり止んでいた。

 星来と母親にあてがわれている部屋に入ると、母親の真奈美は鏡の前で化粧をしていた。

 

「ママ! 何度も電話したんだよ!」

「ごめん。寝てた」

 真奈美は鏡に顔を向けたまま、化粧を続ける。

 星来は、汚らしいものを見るような顔で母親を見た。

(また、男に会いに行くんだ)

 母親が自分の実家に帰りたがる本当の訳を、星来は知っていた。

「ねえ、テニスウエア買ってよ。凛ちゃんは可愛いウエア着てたんだよ。こんなダサいジャージ、ヤダよ」

 星来は自分の着ている、学校指定の体育着の裾を引っ張った。

「いいじゃない。私立の中学、行ってる子なんて、この町にいないんだから、自慢になるでしょ」

 真奈美は立ち上がり、姿見で自分を写すと、満足げな顔になった。

「ちょっと、出てくるわね」とバックの中のスマホをチエックする。

 真奈美の顔が一瞬、輝く。

 スマホを操作しながら真奈美は襖を開けて、そそくさと廊下に出ていった。

 

『ごめんなさい。電話くれた?』

 閉じられた襖の向こうから、母親の猫なで声が聞こえてくる。

(キモッ!)

 星来は、思いっきり顔をしかめた。

『ええっ、ミルキーウエイですって⁉ 私、知らないわよ』

 真奈美の素っ頓狂な声に、星来は襖に近寄り、耳をそばだてる。

『私じゃないわよ! そんなことするわけないじゃない!』

 

 ……聞こえたのは、そこまでだった。

 後は、遠ざかっていく足音が聞こえるだけ。

 

 星来は肩をすくめ、さっきまで母親が使っていた姿見の前に立った。

 手足が長く骨細の体に、胸だけが大きく膨らんだ少女が鏡に写る。

 

 早く、東京に帰りたい――。

 星来は、辺鄙なみずほ町も、ただ広いだけの古くて陰気なこの家も嫌いだった。

 長い休みの度に、母親に連れて来られるが、いい加減うんざりしていた。

 

(でも、今日は楽しかったな)

 凛ちゃんと仲良くなれたし、秀一にテニスを教えてもらえた。

 

 星来は鏡の前に座ると、母親の化粧道具からマスカラを取り出した。

 秀一は、羨ましいくらい長いまつげをしていた。

(それにカラコン入れているみたいにカッコいい、灰色の目!)

 星来の母親は娘の目が灰色でないことにがっかりしているが、星来は自分の容姿に満足していた。

 

 鏡に写る自分の顔にうっとりしながら、星来は思う。

(誰か早くスカウトしてくれないかな)

 テレビに出ているブサイクな女達がアイドルになれるのだから、こんなに可愛いい自分は当然なれるだろう。

 アイドルになってお金が貰えれば、家から出ていける。母親に振り回されて、こんな家に来なくてすむのだ。

 

 来年、中学を卒業したら……。

 古くて、陰気臭いこんな家、二度とこない――。

 

 灰色の目をした者が跡を継ぐことになっているなんて、バカみたい。

 黒い目の自分が、まるで出来損ないみたいではないか……。

 

 丁寧にマスカラを塗っていた星来は、突然、障子の向こうの中庭から物音がして、ビクリとなった。

 

 ドキドキしながら、障子を開けてみる。

 中庭の様子を伺ったが、人の気配はなかった。

 

(あいつかも!)

 あいつは、なんだっていつもこの庭をうろついてるんだろう……。

(あいつ、マジでキモい!)

 あいつ! コータ!

 

 でも……と、すぐに星来は思い直す。

 でも、アイドルになったら、ああいうキモいのとも笑って握手しなきゃいけないのだ。

 気にするのは、やめよう。

 

 星来は再び鏡に向かい、今度は口紅をつけ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1話から7話までのあらすじ

 

 【これまでのあらすじ】

 

  埼玉県にある、みずほ町では過疎化に歯止めをかけようと、若者たちが中心となり、みずほ町おこしプロジェクト、通称『MOP』が始動した。

 『MOP』の活動が実を結び、町に活気がもどってきた矢先『MOP』のリーダーだった鷲宮一輝が、不幸な亡くなり方をした。

 一輝の死が事故死と片付けらた一年後、一輝の姪の真理子が東京から探偵を連れて来たことで、町中が大騒ぎとなった。

 真理子の馬鹿な行動を止めさせようと、町の顔役である岩田は一輝の弟、秀一を東京から呼び寄せる。

(真理子は何を疑っているのか?)

 秀一が兄の死の真相を探っているうちに、今度は岩田が遺体となって見つかった。



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第7話 遺体と怪文書

 

 ポツリポツリと、雨が落ちてきた。

 窓に顔を向けていた賢人が、運転席に座る秀一をチラリと横目で見る。

 「……講習会、中止かな……」

 我ながら、小さな口ごもったような声だった。

  聞こえなかったのか、秀一は何も答えない。

 車に乗ってから秀一は、ずっと黙ったままだった。

 

 怒っているのか?

 講習会に遅刻しているからか?

 写真が嫌いだったのか……自分がパンケーキを全部、食べてしまったせいか……何度もおじさんと呼んだせいか……。

 

  賢人は頭の中でグルグルと考えるが、答えが出ない。

 窓に顔を向け、小さくため息をついた。

 狭い車内に一緒にいると気詰まりで仕方ない。

 秀一の横にいるとなぜか、喉がやけに乾いた。

 

 昼のビールが効いたのか、後部座席では野々香がだらりと伸びていた。

 



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 『みずほふれあいセンター』に着くと、秀一は入り口近くに車を停めた。

 他に何台もの車が、雨に濡れ停まっている。

 

  「アイス届けてくるから、ここで待ってて」

 秀一に言われると、賢人は車から外を覗き込むように空を見上げた。

 「……講習会、中止かな……」

 「すぐ止みそうだから、やるかもしれない。センターの中で待つ? 俺、野々香さんを西手に連れていくよ」

「……また、戻ってくる?」

「講習会、終わる頃、迎えに来るよ」

「……練習しないのかよ」

「俺、午後はパス」

「じゃあ、俺も出ない」

 賢人はプイとドアを開け「荷物、取ってくる」と早口で言うと、車の外へ飛び出して行った。

 (……怒ったのか?……)

 クラブハウスに向かい走っていく賢人を、秀一は見送った。

 そんなにテニスがしたかったのか?

 わからなくもない……。

(……覚えたてが一番楽しいもんな)

 クーラーボックスを抱えて、秀一も車の外に出た。

 

 

 古い建物の中は薄暗く、蒸していた。

 2階からは、子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。

 雨で濡れたクーラーボックスをハンカチで拭きながら、秀一は無人の受付の前を通り過ぎ、すぐ横にある階段を上がっていった。

 

 2階に上がるとすぐに、廊下を駆け回る子供たちと、ぶつかりそうになった。

 開けっ放しの集会室のドアからは、畳の上で寝転んでゲームをする子供や、エアコンの下で楽しげに笑い合う若い母親達が見えた。

 

 秀一は「失礼します」と集会室に入り、母親達にアイスの入ったクーラーボックスを渡した。

 歓声を上げながら、子供たちが集まってくる。

「ありがとうございます。ボッチャン」

  母親の一人が"ボッチャン"と可笑しそうに言うと、他の女達がドッと笑った。

 

  恥ずかしくなった。

 ここにいるのは、新たにみずほ町に移り住んできた人達なのだろうか。

 みずほの地元民以外の人からすれば、大学生になってまで坊っちゃんと呼ばれる自分は、さぞ滑稽に違いない。

 秀一はとっとと、その場を離れようとしたが、

 

 「坊っちゃん、奥の会議室でみなさんが集まってますよ」

 「岩田さんが、いなくなったんですって」

 「変な手紙も入ってたみたいです」

  女達が口々に言う。

 

 (……ガンちゃん、まだ見つかってなかったのか)

 秀一もようやく心配になってきた。

 

 会議室の扉を開けた途端、秀一は中にいた者達の視線を一斉に浴びた。

 緑色のシャツを着たMOPのメンバーとテニス協会の老人達が、それぞれのグループを作り、部屋の片方づつに固まっていた。

 

 どっちつかずの位置で、真理子が椅子に腰を下ろしていた。

 何を考えているのかわからない灰色の目が、秀一を見上げる。

 秀一はすぐに真理子から視線をそらした。

 

「ねええ、午後の講習会なくなったら、コート予約して自由に練習していいんだって」

 中にいた水谷凛が駆け寄ってきて、秀一の腕を掴んで見上げてきた。

「コート取ったら、また教えてくれる?」

 (うわっ、めんどくさっ)

 一瞬そう思ったが、賢人の拗ねたような態度を思い出し、秀一は考えを改めた。

「……いいけど、さっき一緒のコートで練習した、賢人君も呼んでいい?」

 凛は嬉しそうに、秀一の腕を振った。

「あのウマい子だね! いいよ!」

 凛は隣りにいた鷲宮星来と手をつなぎ「コート、予約してくる」と会議室を出ていった。

 

 凛が話し終わるとすぐに、テニス協会副会長の沢村が秀一の前に立った。

 沢村は困りきった顔つきで、

「……坊っちゃん、ガンちゃんがまだ見つからないんです……資料館にも行ってみたんですが、スタッフに聞いても、今日は来てないって言われたんですよ……」

 沢村が話し終わった途端、秀一の横に立っていた夏穂が、紙を渡してきた。

「秀ちゃん、これ見てよ!」

 秀一は言われるまま、渡された紙を見る。

「ひどくない⁉ これ、みんなのカバンの中に、勝手に入れられてたんだよ!」

 それはB5のコピー用紙に、書きなぐったような下手な字で『ミルキーウエイ』とだけ印刷されていた。

 訳がわからないと首を傾げて、秀一は紙を夏穂に返した。

「犯人捕まえようよ! こういうの許しちゃダメだよ!」

「おーっ! なんか昔に戻ったみたいだな。懐かしすぎだろ」

 夏穂の後ろにいた、緑色の髪の優斗がはしゃぐ。

 秀一も優斗と同じことを考えていた。

(勘弁しろよ。俺達もう小学校の学級委員じゃないんだぞ)

 「優斗! 笑い事じゃない!」

 優斗の父親でもある沢村が息子に怒鳴った。

「そうよ! あんたには関係ないんだから!」

 夏穂に怒られ、小さくなった優斗が「……いや、俺のバックにも入っていたし……」と小声で言った。

坊っちゃん、どうしましょう?」

 沢村に再度言われて、秀一も困ってしまった。

「駐在さんは?」

「あの人は、よそ者なんで、まだ連絡してません」

  当然のように言う沢村に、秀一は力が抜けそうになった。

 持病持ちの老人が行方不明なのだから、まずはそこに相談だろう……。

   横にいる夏穂は腰に手を当て、片手で紙をヒラつかせながら秀一を睨んでくる。

「……まずは、駐在さんに連絡しようよ」

 秀一に言われ、沢村はあっさり「わかりました」とガラケーを取り出した。

 

 ちょうどその時 、遠くで女の悲鳴が聞こえた。

  

 静まり返った会議室に、バタバタと足音が近づいてきた。

 ドアが勢いよく開き、女が2人飛び込んできた。ついさっき、秀一がアイスを渡した母親達だった。

 

「受付の奥で岩田さんが倒れてます!」

「息、してないみたいなんです!」

 

 秀一が、ぼーっとそれらの言葉を聞いていると、秀一の脇を素早く通り過ぎる者がいた。

 真理子だった。

 真理子を先頭に、会議室にいた者達が次々と階下に向かう。

 

 秀一は、しばし呆然とした。

 芝居を見ているようだった。

 観客は自分一人。

 そして今、役者は全員ハケていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6話 『THE END OF THE WORLD』


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 後に秀一は後悔することになるのだが、この時はまだ岩田が早苗の店に来なかったことを内心喜んでいた。

 

 外の雲行きが怪しくなり、店内は薄暗くなってきた。

 間接照明のやわらかな光。

 槇原敬之の曲が小さくかかっていた。

 

 早苗に勧められるビールを飲みながら、野々香はすっかりくつろいで見えた。

 野々香が頬を赤らめながら早苗と談笑する様が、秀一には嬉しかった。

 

(……ガンちゃんが来てたら、野々香さん、ゆっくりビールなんか飲んでいられなかっただろうなあ)

  

 養子となり本家の跡継ぎとして育てらた秀一の兄、一輝。

 その一輝の若すぎる嫁は、本家のみならず分家の秀一の親達からも歓迎されなかったようだ。

 

 (……早苗さんがいてくれて、よかった……)

 

 秀一は心底そう思った。

 この町にあまりいい思い出がなさそうな野々香に、早苗という心の拠り所があったのだと思うと自分も救われた。

 

 秀一には、ずっと心に刺さったままの思い出がある。

 

 昔、幼い賢人が秀一に、ベソをかきながら訴えてきたことがあった。

 

 『ママが、お祖父ちゃんに怒られて、泣いてる』

 

 驚いた秀一は、すぐに母の輝子に告げた。

 だが、輝子は冷淡だった。

 

 『あんな、何も出来ない嫁をもらう一輝が悪いのよ。早く目を覚ませばいいのに』

 

 母親の顔色を常に気にする子供だった秀一は《野々香の話をすると母親の機嫌が悪くなる》ことを学習した。

 

 その後も「ママが泣いてる」と賢人が訴えても、秀一は黙殺した。

 賢人が好きだった絵本を読んでやることしかできなかった。

 

 "ぐりとぐら"

 

 今、目の前で秀一のパンケーキも平らげようとしている賢人を見ながら、秀一は過去の自分を恥じていた。

 申し訳なくて、泣けてきた。

 

 秀一の涙に気づいた賢人が、驚いて顔を上げる。

 

「……おじさん、どうしたんだよ……」

 

 恐る恐る言う賢人。

 秀一は気恥ずかしくなり、つい声を荒げてしまった。

 

「おじさん、言うな!」

 

 賢人は赤くなり、慌てて下を向く。

 

「……ごめんなさい……」

 

 とにかく今は、無力な子供だった時とは違う。

 自分にも野々香さんと賢人のために何か出来るはずだ。

 

 本家に乗り込んで、野々香さんの代わりに賢人の養育費を請求するぐらいしてあげたい。

 

(高太郎さんに撥ねつけられたらそれまでだ、とにかく本家と交渉しよう!)

 

 目尻の涙を拭きながら、秀一はそう決意した。

 

 

 

 「早く、出ようよ」

 

 いつまでも続く女達の話に、賢人が焦れた。

 

 野々香と早苗は賢人の言葉でいったんは腰を上げたものの、今度は代金を払う、いらないでまた笑い、話し始める。

 

 時刻は、午後の練習が始まる一時に近かった。

 

「……なあ……午後も、テニス、教えてくれよ……」

 

 賢人が秀一に照れくさそうに頼んできた。

 わかったと言いながら秀一は、自分のスマホを取り出し、

 

「LINEやってる?」

 

 賢人は真っ赤になりコクリとやると、自分のスマホを取り出した。

 

「賢人、どこ住んでるの?」

 

「板橋」

 

「東京戻ったら、近くのコート取るよ。テニスだったら、いくらでも教えてやる」

 

 秀一の言葉に賢人は更に赤くなり、ちょこんと頭を下げた。

 

 早苗が手招きをして秀一を呼んだ。

 

坊っちゃん、講習会に来た子供たちに、アイスクリームを持っていってあげて下さいよ」

 

 早苗は秀一だけを厨房に連れていく。

 

「豆乳で作ったから、アレルギーのお子さんにも安心ですよって、お母さん達に言って下さいね」

 

 などと愛想よく言っていた早苗は、店の厨房に入り秀一と二人っきりになった途端に声を潜めた。

 

坊っちゃんは、一輝さんのことを調べている探偵に会いましたか?」

 

「……まだ、会ってない……」

 

 つられて秀一も小声になる。

  早苗は何か考え込むように、きれいな眉を寄せた。

 

「……早苗さんは、会ったの?」

 

 早苗は顔を上げ、口に手を当て笑みを浮かべる。

 

「ええ、会いました。ちょっと危ない感じの、イイ男でしたよ」

 

 ……早苗さん、あなたまで……

 

 夏穂、野々香さんと続き早苗まで「イイ男」だという探偵に、そろそろ秀一も会ってみたくなってきた。

 

「探偵は……っていうか、真理子さんは、いったい何を疑ってるの? 兄さんは、ただの事故死じゃなかったの?」

 

 早苗はクーラーボックスにアイスのカップを詰め始めた。

 秀一も並んでそれを手伝う。

 

「……一年前と同じですよ……誰かがハウスの留め金を外からかけたんじゃないかって……真理子さんは、一年前もそう言って、湯川の警察署に捜査を依頼したんですから……」

 

「……警察が調べても何も怪しい点は、なかったんだよね?」

 

「その前に高太郎さんが、依頼を取り消させたので、捜査は行われなかったんです」

 

「……最初に兄さんを見つけたのはコータだって、今日初めて聞いたんだけど、本当なの?」

 

 その時コータは誰か怪しい者を見たりは、しなかったのだろうか?

  

 早苗はうなずき、

 

「一輝さんの遺体を見つけた時、コータ君は最初『留め金を外して中に入った』って言ったんです。でも何人もの人に同じことを聞かれているうちに、混乱してきたのか、鍵はかかっていなかった、わからないって言うようになって……」

 

 秀一はテニスコートで会ったコータの、奇異な様子を思い出していた。

 そういえば夏穂は言っていた……『あいつ、一輝さんが死んでから、ますますおかしくなった』と。

 

「……去年一輝さんが亡くなった直後、みんなでコータ君を疑ったんです。もしかしたら、中に人がいるのを確かめずに、うっかり鍵をかけてしまったんじゃないかって……」

 

 だから余計、警察沙汰にしようとした真理子を高太郎を初め、町民達が怒ったという。

 

「……コータ君を警察に連れて行っても、可哀想なだけですから……」

 

 なるほど、この話が秀一の耳に入らないわけだ。

 

 もし秀一の母親、輝子の耳に入れば、コータはタダでは済まないだろう。

 輝子の親戚には警察関係者もいる。

 

「……一輝さんも、スマホさえ落とさなければ……」

 

 早苗の言葉に秀一は、ギクリとした。

 

「……一輝さんのスマホ、液晶が割れてて……本家と西手の間の竹林の中で見つかったんですよ……ハウスに行く途中で落としてしまったんでしょうね……」

 

 たとえ鍵がかけられても、一輝がスマホを身に着けてさえいれば、中から助けを呼べただろうにと、早苗は悔しがった。

 

「……真理子さんも悔しいんでしょうね……好きだった人が亡くなって……誰かを責めないと、やりきれないのかもしれませんね……」

 

 早苗の憐れむような口調に、秀一はハッと顔を上げた。

 

(……ああ……この人も知ってたのか……)

 

 早苗は怪訝な顔で、秀一を見返す。

 

「……坊っちゃんは、ご存知なかったんですか?」

 

「……知ってたよ……」

 

 自分は知っていたが、まさか早苗も知っているとは思ってなかった。

 

 一輝と真理子の関係は、みずほ町の公然の秘密だったのか……。

 

 心臓がドキドキしてきた。

 

「……野々香さんも、知ってるの?……」

 

 声が、かすれた。

 

  早苗は笑顔を作った。

 

「人を好きになっちゃったら、どうしょうもないんですよ」

 

 明るく、秀一の背中をポンとたたく。

 

坊っちゃんも、そのうちわかります」

 

 

 店内では野々香が、店に飾られた早苗のスケッチを写真に納めていた。

 

 野々香が誘い、皆で写真を撮る。

 snowで加工した写真で声をあげて笑い合う、野々香、早苗、賢人。

 

 それらの光景のすべてが、今の秀一からは遠かった。

 

 抱き合う一輝と真理子を見てしまったのは、去年のことだ。

 離婚の原因はこれだったのかと、秀一は兄を嫌悪した。

 

(兄さんは、クズだ)

 

 戸籍上とはいえ、2人は叔父と姪の関係ではないか。

 

 笑い合う3人をぼんやり眺めながら、秀一の心は暗かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5話 田舎暮らしの成功者

 
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早苗がみずほ町に来やって来たのは、秀一が5歳の時だった。

 

 その年は大学生だった兄の一輝が、18歳のお腹の大きな野々香を「嫁にする」と連れてきて、家中が大騒動だった年でもある。

 

 高校生の時から町の過疎化を止めたいと熱心に活動していた一輝は、結婚を機に大学を中退し、本格的に町おこしに着手した。

 

 空き家を無料で提供し、移住者を呼び込むというアイデアも一輝と当時の町長とが考え出したプランだ。

 

 地方ではよくある話だが、ここみずほ町は過疎とはいえ埼玉県。バスで20分で行ける湯川市に出て、急行を使えば新宿、渋谷まで40分とかからない。

 

 定年退職後の老夫婦や、子育てに良い環境を求める家族からの問い合わせがかなりあった。

 

 その中に早苗もいた。

 

 移住者は夫婦や家族連れがほとんどだったが、早苗は女一人でやってきた。

 そして古民家を譲り受けると、自ら手を入れ、一人で『さなえカフェ』を開いた。

 

 ほっそりと、華奢な色白美人だ。

 年の頃は40。

 どこか訳あり風な女を、町中が遠巻きに噂し合った。

 

 移住者誘致を成功させたい一輝は、女一人で来てくれた早苗を何かと手伝った。

 一輝の友人の若者達(現MOP)が一輝に言われ、早苗のカフェを利用し始めると、内心鼻の下を伸ばしていた町の男達も足を運ぶようになった。

 

 こうして早苗のカフェは、なんとか軌道に乗った。

 

 みずほ町が観光地として知られるようになると『さなえカフェ』にも多くの観光客がやってきた。

 幸運なことに、インスタ映えする古民家カフェと、さなえの作るパンケーキは好評で、SNS上ではみずほ町の名店扱いとなった。

 

 今、その『さなえカフェ』で秀一と賢人は向かい合い、早苗ご自慢のパンケーキを突っついている。

 店の隅では、女2人、早苗と野々香がヒソヒソ話をしていた。

 

 秀一は女達の話が気になり、耳をそばだてた。

 

 「おじさん、ソレ、食わないのかよ」

 

 賢人が訊いてきた。

 秀一は無意識にパンケーキをフォークで、ただいじっていたようだ。

 

「……食べていいよ……」

 

 秀一は賢人の方にパンケーキの皿を寄せた。

 

 早苗はパンケーキの前に大盛りのオムライスを2人に出した。

 秀一は食が細い。

 出されたオムライスの3分の2は、賢人に食べてもらった。

 

 賢人は秀一の残したオムライスを平らげ、自分の分のパンケーキもすでに完食し、さらに秀一に寄越されたパンケーキを黙々と食べ始めた。

  

 いかにも女子受けしそうなパンケーキを無言で頬張る賢人を見て、秀一はクスリと笑った。

 

「なに?」という風に、賢人が目を上げた。

 

「なんか、男が2人で、こんなの食ってるの、可笑しいよな」

 

 賢人は下を向き、赤くなった。

 

「……おじさんは、似合うよ……」

 

「俺を、おじさん、言うな(叔父さんなのは、わかるが)」

 

「えっ?」という様に、賢人が目を上げた。

 

「秀一でいいよ」

 

 賢人はすぐ下を向き、赤くなりながら「ううう」と唸った。

 

 すぐ赤くなる可愛い奴だなあと、賢人を見ながら

(この子が自分と同じ"灰色の目"を持っていたら、状況が変わっていたかもしれない)

 と秀一は考えた。

 

 水を汲むふりをして野々香と早苗の近くに行き、秀一は2人の話をこっそり聞いた。

 野々香は早苗の勧めるビールで顔が赤く、目が潤んでいた。

 『遺産』という言葉が女達の間から聞こえた。

 

 『……賢人君は、一輝さんの子供なんだから、お金のことはちゃんと要求しないと、だめだよ。野々香さんは嫌だろうけど、賢人君の将来のためなんだよ……』

 

 真理子が連れてきた探偵が何を探っているのかは、聞き出せなかったが、秀一は2人の会話から、今まで自分が思いもつかなかった問題に気付かされた。

 

 鷲宮本家の相続……。

 

 鷲宮家には代々、どういう訳か灰色の目をした者が産まれる。そしてその灰色の目を持つ者が家を継いできた。

 

 現当主の鷲宮高太郎の目も灰色らしい。

 

 ところが、高太郎の2人の娘は、2人ともごく普通の黒い瞳だった。

 次の跡継ぎに悩まされていた矢先、高太郎の弟の孫に灰色の瞳の男の子が産まれた。

 

 それが一輝だった。

 

 瞳の色のせいで、一輝は産まれてすぐに、本家の高太郎の養子に入った。

 

 その時、一輝の母親、輝子は26だった。

 まだ若いのだから、この先何人も子供が産めるだろう、しかも子供が行くのは目と鼻の先の本家なのだからと、周囲に説き伏せられて、輝子はしぶしぶ子供を養子に出した。

 

 しかしその後、輝子は何年も子宝に恵まれなかった。

 

 死産、流産を繰り返してボロボロになり、本家に自分の子供を返してくれと泣きついた。

 はねつけられると、輝子は一輝を連れて町から逃げだし、警察を巻き込んでの大騒ぎになった。

 

 そんなことがあってから本家と分家の中は、どんどん冷え切っていった。

 

 ただ一輝が大きくなり、ひんぱんに実母を訪ねるうちに、輝子も少しづつ落ち着いていった。

 

 そして、一輝が産まれて15年後。秀一が産まれた。

 灰色の瞳の男の子だった。

 

 一輝の死後、鷲宮の跡継ぎは、高太郎の長女の娘、やはり灰色の目を持つ真理子に決まった。

 

 だが、もし賢人の瞳が灰色だったら、鷲宮一族の人間として、賢人は三顧の礼を持って鷲宮の家からも町民からも迎え入れられたろう。

 

 分家の自分がこの目のせいで、いつまでたっても"坊っちゃん"扱いされるように。

 

 旺盛な食欲でパンケーキを平らげる賢人を見つめながら、秀一はなんとかこの親子の力になれないかと考えた。

 

 突然、聞き覚えのある曲が流れた。

 早苗がスマホの電話に出る。

 

(早苗さんラッドのフアンか。若いなあ)

 

「……岩田さん? 来てませんよ……西手の坊っちゃんなら、ここにいますよ」

 

 早苗は、スマホを手に秀一の近くに来た。

 

「沢村さんからです」

 

 秀一が怪訝な顔をすると、早苗が笑って付け加えてくれた。

 

「テニス協会の副会長さん。坊っちゃんの同級生だった沢村優斗君のお父さんですよ」

  

 秀一は「ああ」と言い、ペコリと頭を下げて早苗からスマホを受け取った。

 

『……もしもし、坊っちゃんですか、ガンちゃんがどこにもいないんですが、ご存知ありませんか?』

 

 沢村の声は慌てているのか早口だった。

  そういえば、すぐにおいつくと言っていた岩田はまだ現れていなかった。

 秀一は岩田から聞いたままを答えた。

 

「郷土資料館から出てきたものを取ってくるって、言っていたよ」

 

『郷土資料館ですか、ありがとうございます……いやあ、あの人心臓悪いじゃないですか、どこかで倒れてるんじゃないかって、みんなで心配してたんですよ……雨降りそうなんで、午後の練習の打ち合わせもあるし……資料館行ってみます。どうも失礼しました』

 

 沢村は電話を切った。

 沢村の言う通り、窓の外は薄暗く、今にも降り出しそうな空模様になっていた。